軍艦島編
今回は家族旅行で行ってきた軍艦島です。
3回分くらいたまってるので追いつきたい。
ちょうど世界遺産登録決定の翌日のこと。
キャンセル待ちの人も多かった。まあ予約してたんで関係ないんすけどね。
こちらも世界遺産に登録されるとかなんとか言ってた三菱長崎造船所のクレーン。
途中は伊王島に立ち寄り、ついにヤツが姿を現し始めた。
お
おおお
おおおおおおお
上陸!
えー、こちらは正式名称は端島。
これが戦艦「土佐」に似ていることからついたのが「軍艦島」。
1870(明治2とか3)年ごろから採炭が始まり、
6度の埋め立てを経てできた島である。
最盛期は人口密度が世界最大で、東京都特別区の9倍以上であったという。
小中学校や病院もあり生活はすべて島内でまかなえたそうだ。
炭鉱は三菱マテリアル社の所有物で社員寮は無料。
なお、パチンコや映画館などの娯楽施設も同社が所有しており、
社員への給与が回収できる仕組みとなっている。
エネルギー革命により石炭から石油へ主要エネルギーが移行することで
1960年以降衰退。1974年に閉山し、翌年には無人島となった。
画面中央の階段は堅工入坑桟橋、炭鉱への出入口である。
ここから数百メートルに及ぶ坑道への入り口、
そして生死の分かれ目への入り口であった。
右側に移ってるのは運搬に使われたコンベアーの跡。
中央の建物は初の鉄筋コンクリートアパートと言われる「30号棟」。
1916年(大正5年)建設。
狭い島内に人を住まわせるため、主に鉄筋コンクリートのアパート
が建てられていく。しかし、役員などは木造の平屋に住んでいたとか。
30号棟の逸話としては、大正だから「ボットン便所」なわけだが、
台風の時には便所が使えない。なぜなら、台風により
穴から汚物が吹き上げてくるからだとか。
時間が止まっていたこの島。
写真だけではこの魅力をお伝えしきれない。
建物は多くが倒壊し、かつての栄華を感じさせない。
それは「寂しい」などといった言葉では表せないものであった。
40年の歳月を経て朽ち果てたその姿は美しいものであった。