西部四国編_後編
高知の朝。
当たり前のように着る服がある。
当たり前のようにご飯が食べれる。
当たり前のように寝床がある。
読者の皆様はその当たり前に感謝して生きているだろうか。
ネカフェで泊まれることがこんなにも素晴らしいことだとは。
日曜のこの日、ネカフェからほど近い場所で
開催されていたのは日曜市である。
高知城から追手筋という通りに沿って出店が立ち並ぶ、
これもまた観光名所のひとつである。
四国の特産品や安い野菜などが立ち並び、
小雨でありながら人は多い。
この通りを抜けていくと高知城に着いた。
城の公園でなんか安保理反対うんたらみたいなデモ
やってたけど観光の邪魔なので別のとこでやってください。
天守閣に入っていく。
その入り口で後ろから声をかけられた。
那須町長さんでした。
https://www.facebook.com/nasumachi/?hc_ref=NEWSFEED
いわく、足摺岬の観光を行った後ここ高知に来たらしい。
行程が俺とほぼ一緒じゃねえか!
一緒に天守閣に登った。
高知城からの眺め。
駅前はともかくここから見るとまあ県庁所在地なだけはある。
天守閣から出てきて町長、
「私、仕事で四国に来ているのですが実は
栃木県にある那須町の町長やっているんですよ。」
うん、知ってる。
こちらも自己紹介。
熊本県内の大学生で、学会のための論文を書きあげ、
台風のため学校が無く思い付きで来たことを伝えた。
これも何かの縁、近くにいた人に一緒に撮ってもらった。
後日、町長のfacebookにアップロードされていた。
1.大学名は伝えてないんですけどね
2.卒論ではないんですけどね
この再会は本当に奇跡と言えるだろう。
町長、必ず那須に行きます。
さて、それこそ町長と再会を約束し別れた後、
高知駅に向かい、昼前の高速バスに乗った。
ここで今回の行程をネタ晴らししよう。
高知から高速バスで松山に戻り、この日の夜に出港する
小倉港行きのフェリーで船中泊し、翌朝熊本に帰るというものである。
松山市内の駅ではなく大街道というバス停で下車。
熊本でいう通町筋のようなものである。
ここから徒歩で向かったのは
松山城である。
眺め
5時間で2つの城を見る男。
そしてここには噂のアレがあった。
蛇口からみかんジュース!
このために300円払うことはいとわない。
喉かわいてたしね!仕方ない!
城から降りる途中、場内には庭園があり、そこにはこんなものが。
何が恋人の聖地だ!!!
ここは俺だけの庭園だ!!!
独り身の旅芸人はまともに見て回ることは出来ず、
ただ抵抗の意志をもって騒ぎ立てることしかできなかった。
城から路面電車の通りに出る。
少し待つとお目当てのものが来た。
「坊っちゃん列車」である。
蒸気機関車ではない。子供だまし。
後ろには客車がついており路面電車と同様に走る。
明治時代から松山の地に根付いてきた蒸気機関車を
再現したものであり、その名前は
利用したことが由来だそうだ。
ここ松山は坊っちゃんの登場地であることもそうであるが、
野球場は「坊っちゃんスタジアム」、土産物は「坊っちゃん団子」・・・
さて坊っちゃん列車に乗ってほど近く、道後温泉停留場に到着した。
坊っちゃん列車の転車(機関車の付け替え)を見終わり、かの地に向かう。
もちろん、松山に来たらここに行かなければならない。
道後温泉である。
日本三古湯の一として数えられ、日本でも最古レベルの温泉だそうだ。
温泉に入った後のお茶菓子はまた格別であった。
温泉街の一店に入り、愛媛名物鯛めしを食らう。
ちなみに同じ愛媛でも北と南で鯛めしは異なるものらしい。
食べ終わったころには残念ながらフェリーの時刻が迫っていた。
途中松山駅に立ち寄り、土産を購入した後、
大手町駅からまた初日に来た道を戻っていく。
電車を降り松山港から小倉港行のフェリーに乗る。
フェリーの中から遠のいていく松山の灯りを見送った。
思い出される一番の思い出はやはり町長との出会いだろうか。
こうしてこの西部四国の旅は終わったのである。
ひげ剃れよ。
フェリーが到着して朝の7時ごろ研究室の先輩から電話が。
「10時から教授と打ち合わせあるから来いよ!」
聞いてない。最後は新幹線を使うしかなかった。